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長野地方裁判所諏訪支部 昭和62年(ワ)2号 判決

原告

長谷川まつじ

右訴訟代理人弁護士

毛利正道

被告

吉井恵美子

外一名

右被告ら訴訟代理人弁護士

川上眞足

主文

一  被告らは、原告に対し、各自金三五七万五六二六円及び右金員に対する昭和五八年一二月一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その二を原告のその余はすべて被告らの負担とする。

四  この判決は主文第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは原告に対し、各自金六四一万一二一〇円及び右金員に対する昭和五八年一二月一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  交通事故の発生(以下「本件事故」という)

(1) 日時 昭和五八年一二月一日午後三時一五分

(2) 場所 長野県茅野市玉川一八七三番地一先T字路交差点

(3) 加害車両 普通乗用自動車(松本五五も五一一二)〔以下「被告車」と言う〕

右運転者 被告吉井恵美子、所有者被告吉井亮一

(4) 被害者 原告

(5) 態様 被告車に後続して停車中の原告運転の軽四貨物自動車(松本四〇か八一二五)に突然被告車がバックしてきて衝突し、原告に後記の傷害を負わせた。

2  責任原因

被告亮一は、被告車の所有者であり、自動車損害賠償保障法第三条の責任が、被告恵美子は、交差点内で被告車をバックさせるにつき後方安全確認を怠り急激に後進した業務上の過失により民法七〇九条、七一〇条の責任がある。

3  損害 総計八〇四万六二六〇円

(1) 頸部捻挫傷害治療費 五五万九五六〇円

(2) 休業損害 小計四四五万五一八〇円

一日の内職平均収入四六七〇円

入院 六九日

通院 八八五日(実治療日数六九七日)

(3) 交通費 小計九万六一五〇円

タクシー代 二万六一五〇円

自家用車通院燃料代(往復八キロ六九〇回) 七万円

(4) 入院雑費(六九日) 小計五万五二〇〇円

一日 八〇〇円

(5) 付添費 三万一七〇円

原告の家族の付添のためのタクシー代

(6) 入通院慰謝料 一八〇万円

(7) 後遺症障害慰謝料(後遺障害第一四級一〇号) 七五万円

昭和六一年七月一一日症状固定〔両肩こり、右手痺れ、右肩右上腕痛、眼精疲労、後頭神経痛で局部に神経症状を残す。〕

(8) 弁護士費用 三〇万円

4  よって、原告は被告ら各自に対し、損害総計金八〇四万六二六〇円から支払済の金一六三万五〇五〇円を控除した未払残損害金六四一万一二一〇円及び右金員に対する本件事故発生日の昭和五八年一二月一日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する答弁及び主張

1  請求の原因1項は認める。但し、原告受傷の因果関係は否認する。

2  請求の原因2項は知らない。

3  請求の原因3項は知らない。

4  請求の原因4項は争う。

被告恵美子は、別紙図面交差点をグリン団地方面から粟沢方面に右折しようとして①点で一時停止し、②点で点に自動車を発見し、同車の進行を妨害しない為に時速六ないし七キロメートルで後退したところ③点で点に停止中の原告車右前部に被告車後部左側を点位置で衝突させた。

原告は、被告車の後退に気付き、クラクションを鳴らし、サイドブレーキと足ブレーキを踏んでいて、衝突の衝撃による原告車の後退は少なく、本件事故による原、被告車の損傷は極めて小さく、原告が通常の運転姿勢で座っていたこと、人間は、後方からより、前方からの衝撃に耐える力が大きいと考えられること、原告には厳密な意味での他覚症状に乏しいこと等から、本件事故で原告主張の長期間の治療を必要とする受傷が生じることは常識的に考え難い。

三  被告らの主張に対する原告の答弁

被告ら主張事実は全部否認する。なお、本訴訟における江守一郎鑑定は工学上の観点から原告に本件受傷(頸部捻挫)が生じ得ないと鑑定するが低速度下の衝突で受傷が有り得ないとする立論の前提自体医学上からも疑問が多く、本件に適切とはいえない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一原告の請求原因1項(因果関係を除く)の事実は当事者間に争いがなく、同事実によれば、被告恵美子に後方確認義務の懈怠があったことは明らかで、これに後記認定の損害との因果関係によれば、同人は原告に生じた損害を民法七〇九条、七一〇条により、被告亮一は、自動車損害賠償保障法第三条に基づき各賠償する責任がある。

二そこで、争点を検討する。

(一)  工学上の受傷可能性

〈証拠〉には、本件事故の原告車及び被告車の破損状況、移動の距離から逆算して、被告車が毎時五キロメートル以下で衝突したこと、その場合の原告車の最大加速度は0.8gで頸部が緊張していない弛緩した状態でいわゆる鞭打ち症になると外国の実験結果で出ている四gに満たないから、原告が本件事故で鞭打ち症を受けることは一般的には考えられず、衝突を予期して頸部を緊張した場合は八gまで耐えられるとの前記実験結果に、本件では原告が衝突を予期しているが、これを予期せず衝突し、一gの最大加速度を受けたと計算される被告恵美子に何ら受傷がないことに照らしても原告が本件事故で頸部に負傷したとは考え難いと結論づける部分がある。

しかしながら、〈証拠〉によると、本件事故現場は下り坂道で、停止中の原告がサイドブレーキを引いていたこと、被告恵美子が原告のクラクションに気付き衝突すると思ってからブレーキを踏んだので衝突までの間ブレーキがきいていないこと、衝突時間が約0.2秒で筋肉の反応速度とほぼ一致しているという諸条件から、衝突により原告が前傾し、これに耐えようとして頸の後部に力をいれた時に減速の効果により逆向きに体が振られて約四gから五gの加速度変化の生じた可能性があること、外国の実験結果は成人男子を対象にしたもので、その五〇パーセントの発症を基準とする一応の基準ではあるが、原告(昭和二三年五月二〇日生の女子)にそのまま適用しうるかはなお論議の余地があることが認められる。

〈証拠〉には前記内田証言等が、可能性と蓋然性を混同したもので原告がシートベルトをしていなかったから所論の前提に誤りがある旨指摘するが、原告がフットブレーキを踏んでハンドルを握っていた場合にはシートベルトをしていなくても前記内田証言が否定されることにはならず、運転時の姿勢についてシートベルトをしていなかったとの原告本人尋問の結果だけで本件事故により受傷の物理的可能性がないとまでは断定できない。

また〈証拠〉によると、被追突車の移動距離が、一メートル未満では受傷の可能性がないとされ、〈証拠〉中には本件原告車の移動距離を一〇ないし二〇センチメートル以内と述べている部分がある。しかしながら、〈証拠〉によると、被告車は被告主張の経緯で、別紙図面記載の事故現場で原告車に衝突したが、衝突の位置関係はスリップ痕等の物証に基づくものでなく、被告主張の被告車が六ないし七キロメートルであったとの時速も警察官の示唆によるもので、被告恵美子(当時一九才)は運転免許取得後間もなく大きな事故を起こしたとの印象があったこと、原告車の停止方向に注意を払わず前方から進行してくる車の進路を開けることに夢中でいたこと、後退方向が上りになること、後方に障害物はないと誤信していたことから後方に全く関心がなかったことが認められるから、被告車の速度は被告本人の供述以上の可能性があると認められる。

これに対し、〈証拠(写真)〉の破損程度等から被告車の時速が五キロメートルを越えることは有り得ないとの証人江守一郎の証言があり、〈証拠〉の記載中には、低速衝突で車修理費が二〇万円程度の場合、鞭打ちが発症しないとの見解があり、〈証拠〉によると原告車の修理代は金七万八七五〇円であって前記認定に反する証拠がある。

しかし、現場での衝突実験に基づかない前記各証拠が本件事故に適切妥当かは疑問があり、後記(二)認定の諸事情をも総合して判断するとたやすく採用できない。

(二)  医学上の診断(原告の詐病、本件事故以外の受傷可能性)について

(1)  〈証拠〉によると、原告と被告恵美子は本件事故直後警察と保険会社に連絡して物損事故として処理したこと、原告は帰宅後頸に痛みを感じて同日茅野市所在の久保整形外科医院でレントゲンを取り、診断をうけたところ、頸部捻挫で全治三週間見込みの診断を受け通院後、昭和五八年一二月一〇日から同五九年二月一六日まで同病院に入院し、以後昭和六一年七月一一日まで同医院に通院し、同日原告請求原因3(7)記載の後遺症の診断を受けた事実が認められる。

(2) 〈証拠〉によると、原告は事故直後から頸に異常を感じて被告恵美子にもその旨述べたが、その程度がたいしたことがないと自己診断して物損事故で申告したこと、前記受診後、人身事故に申告訂正を警察に申し出たのは全趣旨によると事故の翌日であったこと、右届出にあたっても被告恵美子に事前の相談をし、その了解を得ており、被告恵美子の処罰について、歳が若いのでできるだけ軽くしてほしい旨述べていることから判断すると、物損事故の届出は被告恵美子の将来を配慮していたことが窺われ、物損事故を人身事故と詐称した形跡は全く認められない。

(3) また、事故日(受診日)から入院まで一週間余の間隔があるが、この間に他の受傷の機会があったことは証拠上認められないし〈証拠〉によると、本件事故日撮影のレントゲンに異常なしとして看過した同映像の読影に誤りがあって、事故当時第五頸椎の椎体前下縁の骨折の所見を認めるというのであり、当初の診断頸部捻挫診断時点から、他覚症状が存したことは否定しがたい。

(4) しかし、〈証拠〉によると受傷後直に治療を開始した場合、頸部捻挫で一年を超える治療の必要のあるのは少なく、心因性等で安易に治療を継続しても、治癒効果のあることは医学上は稀であること、原告の治療をした証人土橋喜蔵の証言によっても、原告の自覚症状は慢性症状固定と同人が判断した昭和六一年七月一一日の一年以上前から変わらなかったこと、原告は同人の医院に六九七日通院中、他の医療期間や、東洋医学の治療を受けていたがその場限りの一時的な効果しかない状況が継続していたので後遺症認定をしたこと、原告の退院時期も長引くと回復に影響するという観点から決めた意味があったことが認められる。

(5) 上記事実に、〈証拠〉によると、原告は本件事故以前にも車対車の交通事故の経験がありながら、本件事故以前にそのような経験はないと否定したことがあり、以前の事故のレントゲンは現在不明であることを併せ考えると、原告の自覚症状に全部依存したまま、慢性症状固定後にこれを看過して、過剰診療が行われた疑いが濃い。

(6) これらの事実からすると、原告が本件事故で受けた損害として相当因果関係が認められる範囲は、受傷後から慢性症状固定と推定される昭和六〇年七月一一日までの間と、原告主張の前記後遺症とが該当すると判断される。

(7)  右認定に反する〈証拠〉には、後遺症や右認定の受傷が本件事故程度の態様では乏しいか否定される事例があることが述べられているが、原告の本件受傷以前に交通事故の経験があること、本件事故には原告の詐病や他の受傷機転が想定できない事情からたやすく採用しがたい。

三そこで、原告の損害額を検討する。

(一) 〈証拠〉に前記一、二認定の結果を総合して、各損害を後記説示の通り認定判断する。

(1)  〈証拠〉のタクシー代の領収書中で同一日付で三通あるものの内、最も金額の高いもの(昭和五九年一月三〇日付、同二月一八日付、同五八年一二月二二日付)金一二三〇円とあるが日付の明確でないもの、金額が、金四三〇円、金一七六〇円とあって、通院距離と一致しないものを否定し同部分に添う〈証拠〉は採用しない。

(2)  弁護士費用につき本件事故の難易度、認容額、記録上認められる受任時期から遅延損害金の不当利得を生じさせないこと等を勘案して、これを、金二五万円と認める。

(3)  慰謝料等につき入通院の期間、後遺症の程度等一切の事情を考慮して原告主張金額を一部否定し、右認定に反する〈証拠〉は採用しない。

(二)  損害 総計五二一万六七六円

(1)  頸部捻挫傷害治療費(昭和六〇年一二月六日以降分) 〇円

(2)  休業損害五八八日分 小計二七二万六七六円

(前掲関係証拠により計算した原告の一日の内職平均収入四六二七円で、当裁判所が慢性症状固定と認定した昭和六〇年七月一一日までの間の日数分)

(3)  交通費 小計七万三六一〇円

タクシー代(前記説示の認定、計算による。) 二万三六一〇円

自家用車通院燃料代(往復八キロ約五〇〇回相当分) 五万円

(4)  入院雑費(六九日) 小計四万一四〇〇円

一日 六〇〇円計算を相当と認める。

(5)  付添費 二万四九九〇円

原告の家族の付添のためのタクシー代(前記説示の認定、計算による。)

(6)  入通院慰謝料 一五〇万円

(7)  後遺症障害慰謝料(後遺障害第一四級一〇号) 六〇万円

昭和六〇年七月一一日症状固定〔両肩こり、右手痺れ、右肩右上腕痛、眼精疲労、後頭神経痛で局部に神経症状を残す。〕と判断。

(8)  弁護士費用(前記説示の認定、計算による。) 二五万円

四よって、原告の被告ら各自に対し、前記損害総計金五二一万六七六円から支払済の金一六三万五〇五〇円を控除した未払残損害金三五七万五六二六円及び右金員に対する本件事故発生日の昭和五八年一二月一日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める請求部分は理由があるから認容し、その余の請求部分はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用は民事訴訟法第八九条、九二条、九三条を適用して、これを五分し、その二を原告のその余をすべて被告らの負担とし、仮執行宣言につき同法第一八九条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官大谷吉史)

別紙〈省略〉

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